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じんわり感動しておなかがすく物語

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こんにちは、オアフのマイケルです。
今年は花粉の飛散量がスゴいですね。マイケルは毎日鼻水ずるずるの目がしょぼしょぼです。

さて、本日ご紹介する本はこちら。

重松清「峠うどん物語」講談社文庫
※上巻:https://www.amazon.co.jp/dp/4062779463/
 下巻:https://www.amazon.co.jp/dp/4062779471/


いつもと趣向を変えて、今回は小説のご紹介です。

家族や友人、仕事の仲間など、身近な人間関係の中で様々な葛藤を抱えつつ、折り合いをつけながら前を向いて生きていこうとする主人公を、等身大の姿で描くことに定評のある(とマイケルが思っている)重松清さんの作品。重松さんの作品には数々の名著がありますが、個人的にはこれがいちばん好きです。読みながら感極まって涙が止まらなくなる…なんてことはありませんが、ページをめくるたびにそっと心の琴線に触れられるようで、胸にじわっと感動が広がります。

主人公は、女子中学生のよっちゃん。舞台は、よっちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんが山の峠で営むうどん屋さん。お店のすぐそばに市営の斎場があって、お客さんはうどんを食べる目的でやってきたというよりも、葬儀の帰りにちょっと立ち寄った、という人がほとんど。

そんなお客さんたちに対して、その日の気温や気候によって麺の太さやつゆの味付けを細かく調整するほどのこだわりを持ってうどんを作り続ける、頑固で寡黙で融通の利かないおじいちゃん。そんなおじいちゃんを50年近くずっとそばで支える、陽気でおしゃべりでちょっとお節介を焼きすぎるおばあちゃん。

お店が忙しくなりそうな日は、おばあちゃんに頼まれて手伝いにでかけるよっちゃん。しかしよっちゃんの両親は、よっちゃんがお店を手伝うのをよく思っていません。市営斎場のすぐそばのうどん屋には、中学生にはちょっと早すぎると思えるような「死」がすぐ近くにあるから。

お店には、いろんな人が集まってきます。顔すら思い出せない過去の同級生の葬儀に参列した後のおじさん、数える程しか会ったことのない遠い親戚の葬儀に参列した後の中学生、長いあいだ家族ぐるみで介護していたひいおばあちゃんをもうすぐ亡くしてしまいそうな小学生。

ひとつ共通するのは、みんな「やり場のない思い」を抱えているということ。亡くなった人とそれほど親しいわけでもなかったから葬儀で泣くに泣けない、けれど残された家族のことを思うとやり切れないおじさん。はじめて直面する人の死をどう受け止めいいかわからず、葬儀でためらいなく涙を流す大人を見て戸惑う中学生。認知症を患うひいおばあちゃんの介護でつらい目に遭ったけれど、いざ彼女の死が目前に迫ってくると湧き上がるいろんな感情をどう受け止めればいいかわからない小学生。

物語は、終始よっちゃんの視点で描かれています。様々な人の「死」に日常的に触れているためか、中学生にしては、よっちゃんは大人びています。でもすぐにわかったような気になって、おばあちゃんのようにあれこれ口を出したりお節介を焼いたりしては怒られる。怒られて考える。考えて気づく。気づいて行動して、また怒られる。そうして、少しずつ成長していく。

マイケルが読んだのは、自分の祖父が亡くなったばかりの時でした。だからか、登場人物がみんな他人とは思えず、まるで自分がよっちゃんになったつもりで、いろんな感情が胸に迫ってくるのを感じながら読みました。家族のありがたみ、大人になるということ、人の死との向き合い方。ああしなさいこうしなさいと、口すっぱく説教されるわけではありません。ただただ淡々と、人の死を起点に、物語がやさしく流れていく。その流れの中に、ドキッとしたりハッとしたりする瞬間がたくさん散りばめられています。

そして最後まで読み終えると、猛烈におなかがすいてうどんが食べたくなります。人の心の奥深くと食欲をそっと動かす、重松清の真骨頂が詰まっている作品だと思いました。

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